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衣服という人生の作品

白木ときらきらした木漏れ日、隅々まで整えられたお家。それでいて柔らかい心地よさのある空間。今回、お洋服を収集した着用者はそんな端正に生活を送る女性だった。この女性から一体どのようなお洋服を見せていただけるのか。お預かりしたお洋服は一人の女性として精一杯生きてきた本当に木漏れ日のようなお洋服だった。
 
正方形のイカット生地をパッチワーク状に繋ぎ合わせたスカートは所々に擦り切れ、それを直しながら着ていたことがわかる(写真1、2、3、4)。着用者のMさんがこのスカートを購入したのは今から26年前の18歳の頃だ。大阪にカンテ・グランテというインドやスリランカなどの雑貨、カフェを営むお店がありそこで購入した。1972年にオープンしたこのお店は当時若者が集まる有名な場所で、衣服収集の活動を行う中で他の収集者からもカンテの店名を聞くことがあった。購入した1989年といえばボティコンシャスの時代だが、Mさんはパンク×エスニック×古着という着こなしの少女だった。当時はパンクや60年代ロックを聞き、ギグ(ライブ)に行き、鼻にピアスをあけていたMさんの若かりし時代のことだ。今の生活スタイルから付き合いが始まっている私としてはまさかそんな話が出てくるとは思わず、少し面食らってしまった。そんなパンクエスニック少女は高校卒業後、インドを放浪しその後単身ニューヨークに行く。そこでは映画監督になるための学科に入学し、年上の自由な大人たちからアートや音楽といったカルチャー面からお酒や女性であることなど沢山のことを教えてもらった。この時期にMさんの興味や感性が一気に磨かれていったように思える。しかし、ニューヨーク生活は父親の死という形で日本に戻ることになる。父親が亡くなった半年後、Mさんは結婚する。男の子も授かり、育児と生活という慌ただしい生活を過ごすこととなる。
 
しかし29歳の時、離婚。目まぐるしく変わる生活だが、お洋服に変化が現れたのもこの時期からだ。同世代の女性がお洋服にお金をかける時期に本当に服を買わなかったというMさん。20代はカジュアルな装いばかりだったが、この時期に恋をした男性はY’s(注1)が好きな年上のお洒落な人だった。前述したが、Mさんは20代前半、映画監督になることが夢であった。それは幼少期、長期にわたる入院生活を送る中で窓から見える景色を「風景はやってくる」ものだという捉え方をしていたことが根底にある。今でもMさんはよく「風景」という言葉を使う。「どんな美しい風景に出会えるのか」というふうに。この興味に具体的に気付き出したのはちょうどこの時期で、自分を風景の一部として外から眺めるという行為が強くなっていった。大きな決断をした時期であり、新しい自分が想像する美しい風景の一部に似合うように美しい服を着たいと思い、それに似合うようにエステに行き、とにかく自分を磨けるだけ磨いた。そしてそこで初めて購入したのがコム・デ・ギャルソンだ。衿の尖った形をした白シャツと黒い丸襟のシャツを買った(写真5、6)。白シャツの方がMさんにしっくりきたようで、着倒すほど着て白い方はもう残っていない。きっと初めての大人の服をコム・デ・ギャルソンにしたのも恋をした彼との風景、例えば「美術館に一緒にいる景色」を想像して選んだのだろう。
 
駆け抜けるように走った20代、30代。不思議なことに30代以降の装いが変化していった時代もMさんはパッチワークのスカートだけは着続けていた。このスカートをはいてインドに行ったことが思い入れの強さになっているかもしれないというが、スカートの腰回りのぴったりとしたライン、横に入ったスリットが色っぽくMさんにとってとても象徴的な服だという。
Mさんは子どもを養うため、26歳から天然酵母のパンを自宅で焼き始める。お客さんは少しずつ増えていき、契約している方の自宅へ週2回パンの配達と教室も開いている。私も何度かMさんのパンを食べているが、その丁寧な作りとどこまでも優しい味わいに大ファンになってしまった。このパンだけで生きていけたらどんなに幸せだろうと思うほど。ご自宅にも何度か伺ったことがあるが、白木が美しいナチュラルで洗練された生活をされている女性だ。パッチワークのスカートがMさんにとって象徴的であるという話に戻す。Mさん自身、歳を重ねるにつれて培われた美しくて丁寧な私(表)と、そこまでくる途中にあったパンクな私(裏)というのが存在していて、このスカートは裏の自分なのだと。ワルい?スカートを着るワルい私、どこかそんな自分に支えられていた、と。ある種の波瀾万丈という言葉が似合う女性だと思うが、ちょっとワルくもならなければ乗り切れない人生のようにも思えた。しかし、このスカートを最近着たが何故か気恥ずかしく着れなかったというのだ。Mさんは今年で45歳。息子さんも独り立ちし、自分の時間や生活、Mさんの求める美しさに自由に磨きをかける時にきている。もう、Mさんを支えていたどこかワルい自分という存在をすっと認めることが出来る時が訪れたのだ。つまりこのスカートを手放せる時期がきたということだ。

 

Mさんの捨てられないお洋服からは、女性としての人生の変化を見ている気分だった。それも本当に一生懸命に、自分に嘘をつかず100%以上の生のエネルギーで生きてきた証のような。Mさん自身は華奢な透明感のある女性でこの人の一体どこからこんなエネルギーが湧き出るのだろうかと思うが、それはきっと「美しさ」という幸福の形を求め続けている女性だからだと思った。多くの至難を経験しながらもそれを感じさせない美しさは、本当に木漏れ日のようでこのお洋服たちもMさんも不思議な言い回しになってしまうが「作品」みたいだと思った。人生は作品、アートなのかもしれない。私はそれを大切に保管するのみだ。

 
 
注1:Y’sは山本耀司がデザインする高級既製服。現在Y’sのラインは女性服しか発表していない。独特の黒の使い方とワイドサイズの衣服、カッティングの美しさがありつつも根底にはパンクの精神がみられる。1981年にはコム・デ・ギャルソンの川久保玲と共にパリコレクションにて発表。ボディコンシャスでカラフルな色彩が主流だったファッション界にワイドサイズ真っ黒という「黒の衝撃」をおこす。

写真1 18歳〜30代まで着た。本当にほっそりとした作り。
写真2 見づらいかもしれないがスリット入り。
細身のシルエットにスリット。確かに色っぽい。
写真3 パッと見た時は綿かな?と思ったが、これは多分すべて絣柄のシルクだ。微光沢と触った時のなめらかさが心地よい。
写真4 ウエストの紐。ぼろぼろになっても補正しながら着続けている。Mさんの歴史と想いが沢山詰まった一着。
写真5 黒くて形が分かりづらいかもしれないが、丸襟の袖が7部丈の綿シャツ。少し可愛いすぎて次第に着なくなってしまったという。しかし初めて買った大人のお洋服だ。
写真6 以前も収集した、コム・デ・ギャルソンのローブのライン。http://goo.gl/2fl92a(記事はこちら)
10年以上前のお洋服だが今でも着れる完成された形だと思う。