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アニエスベー、1980年代の記憶

今回収集したジャケットはアニエスベーの「フィフル」(フランス語で横笛)と名付けられたマネの「笛を吹く少年」に着想を得て作られたコックジャケットだ(写真1,2)。着用者のNさんが1982年にパリのアニエスベー・ブティックで購入したものだ。当初暗めの赤色のネル生地だった裏地は1990年代の初めに洋裁の出来る会社の後輩に作り直してもらって現在の形になった(写真3)。Nさんは1979年の12月から仕事の関係でパリに滞在する。メディア関係の仕事に就いていたこともあり、当時のパリのカルチャーやファッションをリアルタイムで体感していた。

 

アニエスベー(以下アニエス)は1975年にパリの胃袋といわれた中央卸売市場があったレ・アールに1号店を開く。当時はまだ「ストリート」という言葉はなかったが、今表現するとその言葉がしっくりくるような存在だった。元精肉店だった店内は粗削りな雑貨屋さんのような雰囲気で、フィッティングルームは銭湯のように何人かの女性が一緒に服を脱ぎ、着替えるスタイルだった。ショーウィンドウには服ではなく、植物の鉢や花が飾られボブ・マーリーのLPがかかり、ベニスズメが飛び回っていた(註1)。当時のパリモードの流れからみても際立った店づくりだったことは間違いない。商品はボーダーのシャツが売りで、袖が太く洗い立てのまま、色のバリエーションが沢山あった。パリというとハイファションの印象が強いが、アニエスはパリの日常・ワークウエアをベースにした服作りで所謂フレンチ・カジュアルを生み出したデザイナーだ。Nさんはメディアの仕事を生業にしていたがファッションに強いこだわりがあった方ではない中、アニエスに興味をもったきっかけは主に2つある。1つはパリのブランド物の洋服は高いが、アニエスなら買えるというパリファッションの現実を体感したこと。2つめは担当として関わっていたtodayというギャグOKのライフスタイル雑誌の特集だ。当時流行っていたYMOをもじってIMO=パリのいもねーちゃんを探せ!の特集で彼女たちの生息場所をリサーチした結果、「レ・アールあたりにいそうだ」とこの界隈を見ていた時にアニエスの1号店に出会ったことが大きい。

 

日本に帰国する直前に購入したこのジャケットは飽きのこない形とライダースほど硬くなく着やすかったようで80年代はよく着ていたという。90年代になると着用頻度は減っていくがジャケット自体に興味がなくなったというより、日本に戻り国内の若いブランドが面白く仕事柄そちらに注目するようになっていった。また購入当時はボーイッシュでラフな着こなしで楽しんでいたが、年齢を重ねると男性的なスタイルが似合わなくなってきたと感じたことも着用頻度が減った理由のようだ。「服は好きだけど似合っていると思う理想はもっと若い顔の時の自分だった」という言葉は印象的だ。

 

背中のペイント(写真4)は2004130日にアニエスベー銀座店で当時NY在住のグラフィティアーティストRostarrのライブペインティングで描いてもらったもの。今回の収集で初めてアニエスの歴史を調べていく中での驚きはカルチャーと衣服の融合と発信がかなり早い段階から行われていたことだ。1984年には書店・ギャラリーを開き現在に至るまで多くのアーティストに発表の機会を設けている。特に写真とグラフィティに関してはギャラリー創業当初からの一貫した主要なテーマだった。また映画や音楽への関わり、初期の店舗作りは衣服単体というより、その周辺にある様々な文化の一部としてアニエスの洋服は捉えられる。多様な文化の切り口を提示し、若者からミセス、国籍を超えて多くの人々にアニエスの洋服は届いている。同時にカルチャーとしての側面が強いということは購入した時にどこの文化に共感してその衣服にアクセスしたのか、ということが大きい。年齢によって文化的な興味は変化しやすい。購入した衣服を90年代以降、着用しづらくなっていった理由には外見的な年齢の変化もあるが文化的な側面を纏う、という観点からも離れていった理由があるのかもしれない。それでも30年以上も手元に持ち続けていたのは「その時代にアニエスが好きだった、という気持ちを今でも持っているから」と返答をもらった。銭湯のようなフィッティングルームにスズメが飛び交うアニエスは私が知っている現在のアニエスとは違う。アニエスベーのコアな精神性と自由でボヘミアンな雰囲気を感じ、その時代感独特の記憶や想いがこの1着に詰まっているように思えた。

 

註1:agnès b、Joël Morioagnès b.styliste 』、青幻舎、2016年、21頁

写真1 「フィフル」(フランス語で横笛)マネの「笛を吹く少年」に着想を得て作られた革素材のコックジャケット。
写真2 後ろ。
写真3 裏地が赤色のネル生地だった。全体の印象が随分違っただろう。しかしこちらの裏地の方がNさんのイメージにしっくりくる。
写真4 グラフィティアーティストRostarrのペインティング。
筆跡がカッコ良い。