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異国の地からきた、2着のドレス

今から19年前の1998年、Mさんはお腹にいる赤ちゃんと共にニュージーランドに移住する。パートナーはいない。一人で生み、一人で育てる覚悟で異国の地を踏んだ。大層なことを語るでもなく、淡々と私に話してくださる。「日本よりあっちの方が育てやすいかな、と思って」。そうは言っても、女一人で初めての海外生活に初めての出産と、簡単な覚悟ではないことは同じ女性としても身にしみて感じた。

 

誰に頼ることもないニュージーランド オタゴ州(注1)での最初の生活の場は、元修道院だった場所をリノベーションした老人ホーム施設。Mさんは修道院時代にミサが開かれていた部屋に住むことになり、この施設で赤ちゃんも出産する。老人ホームの人々はほとんどが白人で、英語もままならない中お婆ちゃんたちと編物をしたり、片言でお話ししたりする日々を送ったそうだ。施設の老人たちも、突然の若い東洋人の女性、しかもまさかの妊婦さんの登場に驚いたのは間違いないだろう。

 

不思議な生活を送る中でMさんは入居しているある女性から2着のドレスをいただく(写真1、2)。どうやらその女性が若かりし時代に着ていたドレスのようだ。こんなに豪華なドレスがやってくるのは私の収集活動でも初めてのこと。じっくり見るに刺繍は全て手仕事で、装飾には淡水パールがあしらわれていたり、とにかく豪華なドレスだった。Mさんの年齢と当時の老人ホームにいた女性の年齢を推測すると1930~40年代くらいに着用していたのではないかと考えるが、この時代のファッションにしては装飾的すぎる(写真3,4 注2)。そこで京都服飾文化研究財団の服飾専門の学芸員さんにご協力いただき、ドレスの年代などを調べていただいた。まず、黒色のドレスは1907年前後に制作されたものであること(写真5,6,7,8,9)。ピンク色のドレスはその形や装飾から1912年前後に作られたものだという(写真10,11,12,13)。リメイクされた痕跡はないことから、100年以上も昔の衣服であるかもしれないことに驚かされた。このドレスを渡した女性のお母様が着ていたくらいと考えてちょうど年代が合うように思った。

 

ニュージーランドで白人、ということはきっと移民だったのだろうがこのドレスが作られた国は欧米、またはニュージーランドの高級百貨店で仕立てられるような品質の良いドレスだ。色々な情報を手繰り寄せると、持ち主は良いところのお嬢様だったが、母から譲り受けた美しいドレスを次に渡す、着てもらう身近な女性がおらずMさんに渡した、ということに思える。Mさんはお洋服に取り立ててこだわりはなく、数年後ニュージーランドから日本に戻る時、ほとんどのものを処分して帰国した。しかしこのドレスは捨てることが出来ず、かといって着ることもできず、ずっと手元に置いていた。このプロジェクトは一次資料を重要視することから、収集する衣服を実際に着用していた人からお話を伺いお預かりさせてもらう形をとっている。今回は特殊な例だが、長い年月を経て手元に届いた数奇な歴史を思うと、収集を断ることは到底出来ず、むしろよく来てくれたと感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

間近で見る、豊かな装飾は今でも惚れ惚れしてしまう。この衣服は幾人かの女性の手を経て、そして海をも跨いで、100年経った今ここ日本に在る。このドレスはある種移民の歴史を現していて、当時の女性が海を渡った時の覚悟を想う。Mさんも覚悟の女性だった。もしかするとこれを渡したお婆ちゃんはそれを見抜いてMさんにこのドレスを託したのではないか、と想像した。2着のドレスは今でも美しさと夢を与えてくれているような眩さがある。しかしその裏に女性の強さと覚悟も感じられ、ここまで残ってくれたドレスにただ美しいだけではない存在感を感じている。

 

注1 : オタゴ州のあるダニーデン市は1848年にスコットランドの修道士と移民たちによって開拓された地。ダニーデンという市の名前もスコットランド・ゲール語で首都エディンバラを意味する。もしかすると老人ホームの人々の多くはスコットランドの移民だったかもしれない。

 

注2:1930~40年代のファッションというと、ガブリエル・シャネル、マドレーヌ・ヴィオネ、エルザ・スキャパレリなどが活躍した時代だ。写真3,4を見てもらっても分かるように装飾は程よいくらい、またシンプルなデザインも見られる。収集したドレスはこの時代にしてはデザインや装飾が古いことが分かる。収集したピンクのドレスなどは写真13のような1911年頃制作のキャロ姉妹のイブニングドレスのデザインと確かに似ている。

 

参考文献
京都服飾文化研究財団、2002年『京都服飾文化研究財団コレクション ファッション 18世紀から現代まで』TASCHEN

写真1 黒のボディス1907年前後 制作
写真2 ピンクのボディス1912年前後 制作
写真3 ガブリエル・シャネル作
1927年頃
今でも十分着れるデザインだ。装飾は真珠とコサージュのみ。
写真4 共にマドレーヌ・ヴィオネ作
左頁は1932年、右頁は1933年頃
ヴィオネらしい、バイアスカットを利用したドレープの美しいドレス。装飾よりラインや布の動きが特徴だろう。
写真5 前身頃
写真6 後身頃
ボディに着せつけると分かるが、かなり背中があくデザイン。肩のフリルの下がり方がとても優雅だった。ダンスをして、肩のフリルが美しく揺れる様をなんとなく想像してしまう。
写真7 後身頃のあき仕様。ホックで留める。
写真8 裏の仕立て。アームホーム部分。こんなにざっくりで良いの?というくらいの仕上げ方。この仕立て方を見て、これは身近な人で仕立てが趣味の人が作ったのだろう、と推測していたがどうやらこの時代の裏の仕立てはプロの手だったとしてもこんな雰囲気らしい。
写真9 手刺繍の豪華な装飾
写真10 前身頃の開けた状態。
スナップボタンとホックで留める仕様だ。
写真11 後身頃
写真12 裏の仕立て。
やはりざっくり。高級なドレスの部類に入るようだが、裏はどれもこんな雰囲気。
写真13 淡水パール。装飾が美しい。
写真14 キャロ姉妹作
1911年頃のイブニングドレス
前身頃のデザインが同じ感じだ。