research & collect

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祖母と共に在るニット

すっかり寒さの厳しい季節になってきた。この季節にお世話になるアイテムと言えばニット製品だ。幼い時に祖母や母に何かしらニット類を編んでもらった方も多いのではないだろうか。今回収集させていただいた衣服はニットである。

 

着用者は1984年生まれ。彼女の捨てることが出来ないお洋服とは、亡くなった祖母が作ってくれたニットである(写真1)。彼女の幼い時の写真を見ると、祖母が作ったニットを着ている姿が多く残っている(写真2)。しかし着用者はアトピー持ちだったこともあり、ウールニット独特のチクチクとした着心地が馴染めなかったという。それでも作ってくれた衣服には祖母との思い出が残っている。幼いながらにこんなデザインがいいと祖母に伝え、毛糸やボタンなどは一緒に選びに行っていた。祖母は機械編みを始める前、有松絞り(注1)の加工に関わっており、手先が器用だったようだ。どのニットも大変丁寧に、綺麗に作られていた(写真3、写真4)。色々な種類のニットを拝見していて、ふと気になることがあった。沢山着た痕跡があるニットでも毛玉がないのである(写真5)。私はニット製品のデザインや製造に関わったことがなく、その理由までは分からない。使用する糸の種類なのか、編み方なのか、衣類のケアか、きっと何らかの理由があるのだと思う。

 

完成度の高いこれらのニット作りは、生活の足しになるようにと祖母が37歳頃に始めた。家の近所に機械編みを教えてくれる方がおり、その人から技術を習得したという。作ったニットは駅前の小さな毛糸屋さんで少しだけ売っていた。お客さんの身体を採寸してオーダーで作ることもあり、リピーターもいたようだ。近所に編める人がいて、習いに行って、作れるようになったら身近な人が仕立てに来るようになる。あまりに身近なやりとりに驚きを感じてしまう。現代は誰がどこでどのようにして作ったか分からない衣服を着ている。着用者のニットが作られたのは20年程前だが、まだこの時代にも衣服は身近な人とのやりとりによって生み出されていたのだ。洋服に限らず、人間が生きてきた歴史の中で、身に纏うものの多くはこのようにして作られてきた。

 

着用者の祖母は、身体を壊してからセーターなどの大きな衣服は作れなくなっていった。しかし、それでも帽子などの小さなものは作り続けていたそうだ。家族・親戚中が着ていた祖母お手製のニット。これは誰に渡そう、と考えながら糸やボタンを選び、機械に向かってシャカシャカと編む。その作業はたのしく豊かな時間だったのでないだろうか。今でも着用者の家族は着れる状態のニットを着用し続けている。長持ちして、毛玉の出来ない愛情豊かなニットは祖母が亡くなった今も大切に大切に着られている。

 

注1:有松絞りとは愛知県の有松・鳴海地域を中心に生産される絞り染めのことである。

 

写真1
写真2 着用者の幼い頃。ニットばかり着ていたらしい。
写真3 サマーニットと思われる。柄や配色、袖ぐり・襟ぐりなどの細部もかわいらしく丁寧に作られていた。
写真4 こちらもサマーニット。柄の細工が細かい。子ども用サイズだが大人用に作ってもきっと素敵だ。
写真5 よく着用していたことが分かる。何箇所かにシミも残っていた。しかし、どのニットも毛玉が見当たらない。不思議である。