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入学式の服

自分の幼い時に、誰かから服を作ってもらったことがあるだろうか。残念ながら私の記憶には残っていない。母に尋ねると、私が生まれた時に晒布(さらし)のおしめ100枚と幼稚園の時に象さんのアップリケ付きスモックを作ったらしい。晒布のおしめ100枚は凄いことだし、象さんのスモックも想像するだけで可愛らしいけれど、あまりに幼く、そしてあまりに一時的な日常品だったせいか私の記憶には残っていない。しかし特別な瞬間やとりわけ長く一緒に過ごした物については、時が経てもよく覚えているものである。今回は小学校の入学式に着用した衣服についてだ。

 

着用者は1985年生まれ。小学校に上がる当時は静岡県浜松市に住んでいた。彼女のお母さんは初めて女の子が生まれたかわいさもあり、彼女のために洋服を作って着せたいと思った。当時、同じマンションに住んでいた友人が服を作っていたこともあり、友人を先生に子ども服を作っていった。この時代は、雑誌に服の作り方が載っていたり、パターンが付属でついていたりして手作りで服を作りやすい環境だった。お母さんもドレスメーキング(注1)などの雑誌を参考にしていたようだ。

 

彼女の入学式の服は、幼い娘に雑誌を見せてどんなデザインがいいかを一緒に決め、セーラーの襟を気に入った彼女のためにセーラー付きワンピースを作った(写真1)。この時は型紙もお母さんがすべて自分で起こしたというのでなかなか凄いことだ。しかし、どんなふうに作ればいいのか分からず、大変苦労したそうだ。「何度も何度も縫い直しを繰り返しました」と言っていたその洋服は、確かにその痕跡が残っている。プロの縫製の方ではないので、その仕上がりは美しいとは言えないのだけど、若い日のお母さんが一生懸命になって作ったことがよく伝わってきて、その光景を想像するとなんだかほんわかした気分になった(写真2、写真3)。

 

着用者の当時の記憶は、「チクチクして暑かった」というなんともフィジカルな記憶に依ったものだった。素材がウールで中肉生地なので4月に着るには確かに暑かっただろう。これに裏地が付いているので、益々暖かい。しかし何にも記憶に残らないより、こうやって何らかの思い出に残る方がいいではないか。当時、この服を着て嬉しかったかどうかは覚えていない、と彼女は言っていたが、こうして改めてお母さんが作った服を見ると「とても嬉しいですね」と満面の笑みを浮かべていた。人間の誰かに対する愛情というのは、日常化するとふとその存在を忘れそうになることがある。しかしこうした捨てることの出来ない物を通して、物の先にある人間の愛情に触れる瞬間があるのだ。

 

注1:ドレスメーキングは1949年創刊の婦人雑誌。1993年休刊。1954年10月号のドレスメーキングが手元にあったのでいくつか内容を上げてみる(写真4)。着用者のお母さんが読んでいたのは1991年頃なので内容は随分違うと思うが、洋服の作り方が載っている。現在の雑誌に比べると文字が格段に多い(写真5、6)。

写真1 セーラーカラーのワンピース。
写真2 しっかりと裏地も付けている。
裾に施したロックミシンやまつりから縫製の苦労が伝わってくる。
写真3 「くるみボタンもつくったの」とお母さん。
すべて始めて尽くしのことできっと大変だっただろう。
写真4 1954年10月号のドレスメーキング。1947年にクリスチャン・ディオールがニュー・ルックを発表して以降、日本でもウエストをマークした分量のあるスカート、といったスタイルが流行っていた。表紙からも当時の流行がよく読み取れる。また、この年はオードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」が日本で公開される。
写真5 スポーツ・ウエアの図面の書き方と縫製方法が記されている。
写真6 コート生地の特徴やデザイン、縫製する際の注意点などが書かれている。他にも「ハンカチーフの歴史」についてや杉野芳子(杉野服飾大学の創始者)の「今秋のコレクションを観て」などのパリコレクション報告記事のようなものもある。とにかく文字が多く、内容が濃い。